「どうかいても嫌な奴は嫌な奴」町田康

昨日、町田康の「どう書いても嫌な奴は嫌な奴」という作品を読みました。今まで、色々な筆者の作品を読んだことがあるんだけど、町田さんの作品が一番面白いです。なぜなら、町田さんの書くスタイルにより、文章の内容が特に刺激的になるからです。その文章では主に、町田さんは日本語の文末について書いています。

まず、あなたはタイトルの意味は何だろうと考えるでしょう。詳しく説明すると、町田さんによると、文体が です・ます調、だ・である調のどちらで書いてあっても、文章の内容を見れば、嫌な奴ならその特徴が簡単に認められるんだが、読者の大方が文末しか見ないので、著者はいい人か嫌な人かを、その印象だけですぐに決めてしまう。例えば、「僕」という主語と です・ます調を、ともに使うなら、読者は「ああ、彼はへりくだった方ですね」と感じるけど、「俺」か「私」と だ・である調を使うなら「傲岸不遜な奴みたいだね」と不公平にも感じます。

誰かにそうかもしれないけど、過激な例を使ってみると、この理論はもう保てなくなる。例えば、一方で、

僕は皆さんのことが大嫌いです。よく分かりませんが、なんとなく、世の中が大嫌いになりました。電車を乗る時に、他の乗客皆を殺したくなる時があります。何ででしょうか。

自分ででっちあげた例ですが、この文を読んでみると、文末をどう変えたって、この人には救いようがないことが分かる。次は同じ内容について、「俺」と「だ体」で書きます。

俺は皆のことが大嫌いなんだよ。分かんないけど、いつのまにか周りの人たちが大嫌いになったんだよ。電車を乗る時、必ず乗客の奴らマジで殺したいんだよ。分かった?

これを読めば、雰囲気の相違が分かりやすいはずだが、この人の性格も忍ばせられないわけです。

やっぱり、町田さんが書いたタイトルの通り、「嫌な奴は嫌な奴」ですね。

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