Literature

「どうかいても嫌な奴は嫌な奴」町田康

昨日、町田康の「どう書いても嫌な奴は嫌な奴」という作品を読みました。今まで、色々な筆者の作品を読んだことがあるんだけど、町田さんの作品が一番面白いです。なぜなら、町田さんの書くスタイルにより、文章の内容が特に刺激的になるからです。その文章では主に、町田さんは日本語の文末について書いています。

まず、あなたはタイトルの意味は何だろうと考えるでしょう。詳しく説明すると、町田さんによると、文体が です・ます調、だ・である調のどちらで書いてあっても、文章の内容を見れば、嫌な奴ならその特徴が簡単に認められるんだが、読者の大方が文末しか見ないので、著者はいい人か嫌な人かを、その印象だけですぐに決めてしまう。例えば、「僕」という主語と です・ます調を、ともに使うなら、読者は「ああ、彼はへりくだった方ですね」と感じるけど、「俺」か「私」と だ・である調を使うなら「傲岸不遜な奴みたいだね」と不公平にも感じます。

誰かにそうかもしれないけど、過激な例を使ってみると、この理論はもう保てなくなる。例えば、一方で、

僕は皆さんのことが大嫌いです。よく分かりませんが、なんとなく、世の中が大嫌いになりました。電車を乗る時に、他の乗客皆を殺したくなる時があります。何ででしょうか。

自分ででっちあげた例ですが、この文を読んでみると、文末をどう変えたって、この人には救いようがないことが分かる。次は同じ内容について、「俺」と「だ体」で書きます。

俺は皆のことが大嫌いなんだよ。分かんないけど、いつのまにか周りの人たちが大嫌いになったんだよ。電車を乗る時、必ず乗客の奴らマジで殺したいんだよ。分かった?

これを読めば、雰囲気の相違が分かりやすいはずだが、この人の性格も忍ばせられないわけです。

やっぱり、町田さんが書いたタイトルの通り、「嫌な奴は嫌な奴」ですね。

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1Q89, Murakami’s New Book

Haruki Murakami is releasing a new book soon (in Japan) called 1Q84.  Its more than 1000 pages.  It won’t be translated in the forseable future.  I want it.

I wonder if I can read it in Japanese?

Here’s the review:

http://search.japantimes.co.jp/cgi-bin/fb20090705a1.html


村上春樹:「真っ白な嘘」。。。ホントに?

久しぶり!ごぶさたしてごめんなさいね。このポストで新しいセクションを書き始めます!

先日、日本語中級の教科書を勉強し終わりました。「終わった」というのは事実ですが、もちろん、「全部覚える」という意味はないので、時々レビューします。それにしても、終わったことは終わったから、勉強するために新しい本を買ちました。この本は「Read Real Japanese Essays」というのです。八人の筆者がエッセイを書いてくれたから、自習ならいいと思います。また、色々な日本の小説とか、雑誌とか、新聞を持っているので、だんだんと読み勉強しながら、ここでそれぞれの分析を書くつもりです。

この分析を読んだ後でコメントがあったら、討論したいなら、どうぞここで書いて下さい。すぐ返事しますよ。コメントに待ち楽しんでいます。

「Read Real Japanese Essays」という本で村上春樹の「真っ白な嘘」を読んでいました。このエッセイはわりに分かりやすかったと思います。大テームは、例の嘘で、村上さんは自分のついた嘘について書いています。

最初の分は、なんとか驚いたことに、「僕は嘘をつくのは得意ではない」と書いてある。その後、自分の大きな嘘について書き続ける。例えば、ある月刊誌が村上さんに書評を書き頼んだが、その時に村上さんは本を書いていたし、時間が少なかったし、あまりやりたくなかったので、偽の伝記をでっちあげようと思った。そうすれば、読む時間がなくなり、あまり興味がない本を読まなくて、書くのはもっと面白くなるかもしれません。

それは一番目の嘘。二番目のは若い頃からです。村上さんが「生意気盛りの若い頃は、インタビューでもしばしばいい加減なことを言っていた」といっています。そんなインタビューで「どんな本を読んでいるか」と聞かれたら、再び、偽の筆者をでっちあげたり答える。エッセイに「もちろん、どっちの作家も実在しない」と書いてあるし、嘘をつくのは実際に「得意ではない」わけではないと思っています。

エッセイの末には「真っ赤な嘘」の言葉の説明がある。村上さんは奈良時代の歴史、または「真っ赤な嘘」の歴史を教えるのに、全部は架空な情報だから、読み者にも嘘をつくことも出来るみたいです。「赤い大福餅を12個口に詰め込んで窒息死させるという酷い刑罰があったからです―――というのは例によって嘘だ」と書いてある。当然にまだ嘘をついています。

村上さんは最初から嘘がつけないと言っているけれど、なんとなくたくさん嘘をついているわけです。本当に嘘がつけないなら、何でそこまで嘘をつくのが出来るかな?それとも、大福餅の段落は読み者のための嘘だから、そしてその嘘にこだわっているので、もしかして全部のエッセイは読み者のための嘘のではないかもしれないですか。最初の分は嘘一方で、全部は嘘と思います。何よりも、知っていることに、全部は事実というわけにはいけない。

とにかく、どこが事実か嘘か、あまり大事なことじゃないから、真っ赤な嘘より、害がないのいわゆる「真っ白な嘘」(little white lie)じゃない?